2012年5月26日土曜日

堺緞通と現在のカーペット業界

3代目です。

最近カーペットの歴史のお勉強を少しずつ進めています。
歴史ってほんとおもしろいです。

現在のカーペット生産量の約95%が大阪でつくられている現状。
なぜ大阪だったのか?

僕の勉強した情報だと理由は3つ。

①堺緞通のルーツ
日本3大緞通「鍋島緞通」「赤穂緞通」「堺緞通」のうち、唯一「藩」主導ではなく「民間」主導だったのが堺緞通だそうです。そのおかげで、しっかり商売をしていた。当時つくったものの90%を輸出していたそうです。
②明治時代に持ち込まれた紡績機械
原料である「糸」づくりが、しっかり産業として育ったことも大きいとおもいます。薩摩藩にいたお偉いさんが、明治政府の命令で大阪に赴任し、その際に、イギリスから紡績機をいれたそうです。それが現在の東洋紡になっているそうです。営業、原料、がこれで揃いました。
③室町時代応仁の乱のときに避難してきた西陣織の職人
最後に外せないのが、職人の技術。応仁の乱の戦火のなか、西陣の方々が堺に避難してきたそうです。その方々によって引き継がれたのが、織物の技術。

本当に少しずつ歯車が狂っていれば、大阪にカーペット産業は生まれていなかったわけです。


わずか4人になってしまった織工さん
現在の堺緞通はじばしんに織機を4台くらい据えて、そこに織工さんがきて織ります。産業として成り立っておらず、織工さんはボランディア。糸代は自腹でお支払いになっているそうです。
あとは堺刑務所に10台ほど織機が据えられているそうです。

大阪のカーペット産業はすべてはここからはじまりました。

すぐに何かかわるわけではないですが、この堺緞通を後世に残していくために、何かできることからはじめていきたいと思います。

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