2012年5月29日火曜日

「自責」と「他責」

3代目です。

「自責」 自分の責任をだとみとめ、改善し、行動していくこと
「他責」 「**のせいだ」と人の責任にし、愚痴や文句をいうこと

人間がどちらの姿勢のほうが成長するのはあきらかです。
どんなに理不尽な出来事でも、それは自分のせいかもしれない、ほかに自分ができたことはなかっただろうか?考えられることは、様々です。

「他責」の姿勢で仕事に望むと、結果として自分自身がまったく幸せにはなれない。

「自責」の姿勢をもってどんどん意見が言い合える現場をつくっていきたいと思います。

2012年5月26日土曜日

堺緞通と現在のカーペット業界

3代目です。

最近カーペットの歴史のお勉強を少しずつ進めています。
歴史ってほんとおもしろいです。

現在のカーペット生産量の約95%が大阪でつくられている現状。
なぜ大阪だったのか?

僕の勉強した情報だと理由は3つ。

①堺緞通のルーツ
日本3大緞通「鍋島緞通」「赤穂緞通」「堺緞通」のうち、唯一「藩」主導ではなく「民間」主導だったのが堺緞通だそうです。そのおかげで、しっかり商売をしていた。当時つくったものの90%を輸出していたそうです。
②明治時代に持ち込まれた紡績機械
原料である「糸」づくりが、しっかり産業として育ったことも大きいとおもいます。薩摩藩にいたお偉いさんが、明治政府の命令で大阪に赴任し、その際に、イギリスから紡績機をいれたそうです。それが現在の東洋紡になっているそうです。営業、原料、がこれで揃いました。
③室町時代応仁の乱のときに避難してきた西陣織の職人
最後に外せないのが、職人の技術。応仁の乱の戦火のなか、西陣の方々が堺に避難してきたそうです。その方々によって引き継がれたのが、織物の技術。

本当に少しずつ歯車が狂っていれば、大阪にカーペット産業は生まれていなかったわけです。


わずか4人になってしまった織工さん
現在の堺緞通はじばしんに織機を4台くらい据えて、そこに織工さんがきて織ります。産業として成り立っておらず、織工さんはボランディア。糸代は自腹でお支払いになっているそうです。
あとは堺刑務所に10台ほど織機が据えられているそうです。

大阪のカーペット産業はすべてはここからはじまりました。

すぐに何かかわるわけではないですが、この堺緞通を後世に残していくために、何かできることからはじめていきたいと思います。

2012年5月10日木曜日

和泉市の小学校の写真に堀田カーペットの織機が!

3代目です。

なんと、現在の和泉市の小学校3年生の教科書に、堀田カーペットの織機がのっています。ぜんぜんこんな話は知らなかったのですが、教科書に載る!なんてなかなか感激です。

もともと我々のいる泉州地域は、繊維工業がさかんで、カーペット以外にも布団やタオル、ニット製品などの会社がたくさんあります。
紡績屋さん、染色屋さんもたくさんあります。

ですが、昔はもっともっとたくさんあったそうで、染色後の糸が干してあるような光景や、糸をからからと巻き上げる音も、昔は感じることができたのでしょう。

現在でも産地であることは間違いありませんが、生活の一部になっているという感覚はまったくありません。泉州地域の伝統をしっかり残していけるように、堀田カーペットもますますがんばっていきたいなとおもいます。



大日本市出展のお知らせ

3代目です。

堀田カーペットはじゅうたん生活啓蒙ブランド「carpetroom」で、大日本市に出展いたします。私が、「アレルギーのないじゅうたん生活」と題してセミナーも開催させていただきます。

carpetroom以外にも様々なブランドが出展いたします。
前回よりもさらに2ブランドが増えます。

ポンチョブランド 「mino」  
http://www.dainipponichi.jp/exhibition/mino/

様々なTHEを創っていくブランド「THE」
http://www.dainipponichi.jp/exhibition/the/

ぜひお待ちしております。

詳細は以下より。事前登録制となっておりますので、お申し込みの上ご来場ください。


http://www.dainipponichi.jp/top/